神戸もこの金沢のように

昨夜は志賀さんのお店に行って、とても楽しく話をさせていただきました。(長居してすみませんでした!汗)

なんか心地よい二日酔いのまま、録画していたNHK新日曜美術館「アートで街が変わる」を見ました。金沢アートプラットホーム、いいなあと思い、ちょっと感動した。「神戸の街で何か企む」というような話を、志賀さんとしたばかりでグッドタイミング(死語)でした。

■商店街の頭上に川のように飾られた6000の「花」。レジ袋で花びらを作っている。アーティスト丸山純子の呼びかけで市民延べ300人が作った。子どもも大人も。おじいさんはできたばかりの自作に拍手して「うわー最高。こんなことこの歳で初めて。うち帰っても作らなあかんわ」。「みんなでやるから楽しいんだね」というおばあさん。丸山純子さんの思いは「身近なものを使っても多くの人が手を加えればアートになる」

■路地を入った空きビルの一室に、なんでもない物たちが並ぶ。タイ人アーティスト、カミン・ラーチャイプラサートの呼びかけにこたえた市民が「一番かけがえないもの」を持ち寄った。古くて大きいそろばん、親子3代が遊んだスヌーピーのぬいぐるみ、高校時代に女子からもらった丸い石。子供の頃からネジを巻き続けてきた柱時計。カタログに写真と思い出が書かれている。なんでもないものと人のストーリーが集まる、ある種の力。自分のモノの展示を見に来た人は、ほかの人の品にも思いを巡らすだろう。カミンさんは、金沢の小学校長の「だれでも必ずよい所がある」という言葉にインスパイアされた。

◇上記2作品は、街を舞台に市民がアートの主体者になって交流する。アイデアはシンプルで参加したいと思わせる内容。人が集まって何かを作り楽しむと、わくわくするような街の魅力につながる。

■カミフブキオンセン。友政麻理子。これはもう少し手が込んでいる。一室に軽い紙の紙吹雪が積もっていて、その「温泉」に身を浸す。傍らのテレビ画面では「祖母と孫」のような組み合わせで何か話している。「架空の温泉」をモチーフにして家族が物語を作り、その家族が語り合う形で物語を話す。それは自然と、自分が家族に対して日頃どう感じているかを話していたりする。鑑賞者は、柔らかい紙吹雪に包まれながらそれを聞く。

■子供たちが力を合わせて作った、巨大な紙相撲。

■兼六園などで撮影した「PIKAPIKA IN KANAZAWA」(トーチカ)。ペンライトで宙に落書きして、8秒間露光のカメラで写す。演者は市民。夜の庭園や町並みで動き回る人と光のオバケ。仕掛け人はセンスもノウハウもいるだろう。でも、これは理屈抜きでおもしろい。

■築120年の町家の再生。20年ほど無人で朽ち始めた家を蘇らせ、古たんすの引き出しの内側に「タンスの精」の絵を描いたり、地元の人がその家についての思いを語ったインタビュー映像を押し入れの覗き窓から見れるようにする。建築家ユニットアトリエ・ワンの人は「古いからと捨ててしまうと、街の文化だけでなく人の自信や誇りまで捨ててしまうことになる。それはつまらない」

◇街がアートの舞台ではなく、アートそのものになる。それを可能にするのはアーティストのセンスと楽しみながら参加する市民たち。
[PR]

by kobefun | 2008-11-11 13:05 | kobe  

<< 栄町のギャラリー2軒 強くて優しい筑紫さんの文章 >>