先頭車両からの景色

朝の山陽電車。先頭車両から見る前方の風景のロマンチックさ。

日常繰り返されるのに、普段は気にもとめない、そんな景色が見方を変えると新鮮に映る。その非日常さ。そして、ホームで待つ人の日常のいとおしさ。

こういう印象を表現する映画ができないか、と考えてみたり。電車の前方から見える同じ景色をオープニングとエンディングで映して、ストーリーが展開する前と後では同じ風景がまったく違って見えるとか。
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# by kobefun | 2008-11-27 14:27 | akashi  

マリオ・ブルネロ。静かで強いバッハ


「マリオ・ブルネロ(チェロ)とバロックの仲間たち」をザ・フェニックスホールで聴いた。(12/25)

音楽を聴いてここまで心動かされたのは初めてだと思う。

穏やかなのに印象が深い。

バッハの無伴奏チェロ組曲1番と3番。
1番の朗々として切ないプレリュード。迫力だけでない深み。何か胸が苦しくなった。この感覚が、日が経つにつれて薄れていくのが辛いほど。
3番。流水のようなパッセージの中に強さと柔らかさが同居している。音は大きくないのに楽器が鳴っているのが分かる。言葉にするのが惜しいくらいの感情。でも形にとどめておきたい衝動。
音というのは何なのだろう。「声を荒げない説得力」「静かに語ってこそ伝わる感情の強さ」「それを表現する技術昇華と人間性」。そういうものを感じさせる音楽に出会った気がした。

音に人間性が表れるのは本当だ。その人間性で感動させる人がいるということだ。

この曲はヨーヨー・マのCDばかりを聴いていたが、だからこそ、この日の感覚があったのかもしれない。ヨーヨー・マも生で聴いてみたい。

ヴィヴァルディのチェロソナタ4曲のうち印象に残ったのは、第6番RV.46と、?番RV.40。
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# by kobefun | 2008-11-27 13:57 | osaka  

「細江英公の世界」を観た-演出と非演出の間

尼崎市総合文化センターで「細江英公の世界」を観た。(11/24に)

1933年生まれ。1952年の作品というから19歳か。「銀座の乞食の母子」の写真がいい。屈託ない笑顔に膝の上の煙草1本が効いている。生活は大変だろうに何かいいことがあったのか。そのいいことの象徴が「きれいな煙草」のような気が。これは想像。

三島由紀夫の写真などはすごいのだろうが、土方巽の方が私には響く。

「鎌鼬」(1965)
舞踏家と東北の人びとのパフォーマンスのドキュメンタリーというのが第一印象。普通の人々が「奇異なもの」を受け止め、笑い、写真の中で「演じ」てしまっている。演出と非演出のないまぜ感が不思議。細江の魅力。でも計算というより体当たりなのだろう。舞踏家と一緒に飛びはねながら撮り、人々の中に飛び込んでいったのだろう(と撮影風景の写真を見て思った)。こういう時間の使い方がうらやましい。

「土方巽舞踏図鑑」もしかり。

「抱擁」もよかった。体を抽象化する不思議。

「おかあさんのばか」
女の子の詩を採録(ご容赦を)

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この頃のおとうさん

おとうさんは
おかあさんを亡くしてから
昔のようなはりきりがない
おかあさんが生きていた頃は
ねるのがたいてい二時だったのに
この頃は私たちの方がいつもおそい
アイデアがいっぱいあるおとうさん
昔のような
元気なおとうさんになってください
私たちのことばっかり
考えないで
自分のことも考えてください
おかあさんがいないので
なにをしてもつまらないという気持は
私にはよくわかるんだけど
このごろのおとうさんたら
ぐっと年をとったみたいよ
おとうさん元気をだしてね

///

小学6年生?がこんな言葉を出せるとは。
素直なのに構成も感じる。思いが素直だと構成が自然と成り立つのか。
私がこのお父さんだったら「自分のことも考えてください」で泣くだろう。
親子3人の写真がいい。お父さんの髪の毛が風に広がっている。

ビデオ。世界貿易センタービル跡地のでの写真展示を見ての細江
「瞬間が永遠につながる。印象がとても強くなる」
ダゲレオタイプを使うのを見て、モノクロフィルムを使いたくなった。
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# by kobefun | 2008-11-27 13:27 | hanshinkan  

栄町のギャラリー2軒

栄町のギャラリー2軒を急ぎ足でハシゴ。

マイケル・デウィック写真展タントテンポ
フラフープを持った女性がとてもチャーミング。ヌードのサーファーよりもむしろ。ちなみにヌードはイルカみたいに泳いでるの(ポストカード)がよかった
あと、波に向かって歩く男たち。「至福の時間」を求めているはずの後ろ姿が、なぜかうなだれているところがドキュメンタリーな感じ。「疲れてるけどやめられない」みたいな。求道者みたいな。

宇宙と金魚と天使 PECHU作品展PAXREX
金魚に刺青をしたような。痛々しい美しさ。描く側も刺青職人のようにボールペンを使ってるのかも、と想像してみたり。この作家さんが描く女性を見てみたい。
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# by kobefun | 2008-11-21 16:40 | kobe  

神戸もこの金沢のように

昨夜は志賀さんのお店に行って、とても楽しく話をさせていただきました。(長居してすみませんでした!汗)

なんか心地よい二日酔いのまま、録画していたNHK新日曜美術館「アートで街が変わる」を見ました。金沢アートプラットホーム、いいなあと思い、ちょっと感動した。「神戸の街で何か企む」というような話を、志賀さんとしたばかりでグッドタイミング(死語)でした。

■商店街の頭上に川のように飾られた6000の「花」。レジ袋で花びらを作っている。アーティスト丸山純子の呼びかけで市民延べ300人が作った。子どもも大人も。おじいさんはできたばかりの自作に拍手して「うわー最高。こんなことこの歳で初めて。うち帰っても作らなあかんわ」。「みんなでやるから楽しいんだね」というおばあさん。丸山純子さんの思いは「身近なものを使っても多くの人が手を加えればアートになる」

■路地を入った空きビルの一室に、なんでもない物たちが並ぶ。タイ人アーティスト、カミン・ラーチャイプラサートの呼びかけにこたえた市民が「一番かけがえないもの」を持ち寄った。古くて大きいそろばん、親子3代が遊んだスヌーピーのぬいぐるみ、高校時代に女子からもらった丸い石。子供の頃からネジを巻き続けてきた柱時計。カタログに写真と思い出が書かれている。なんでもないものと人のストーリーが集まる、ある種の力。自分のモノの展示を見に来た人は、ほかの人の品にも思いを巡らすだろう。カミンさんは、金沢の小学校長の「だれでも必ずよい所がある」という言葉にインスパイアされた。

◇上記2作品は、街を舞台に市民がアートの主体者になって交流する。アイデアはシンプルで参加したいと思わせる内容。人が集まって何かを作り楽しむと、わくわくするような街の魅力につながる。

■カミフブキオンセン。友政麻理子。これはもう少し手が込んでいる。一室に軽い紙の紙吹雪が積もっていて、その「温泉」に身を浸す。傍らのテレビ画面では「祖母と孫」のような組み合わせで何か話している。「架空の温泉」をモチーフにして家族が物語を作り、その家族が語り合う形で物語を話す。それは自然と、自分が家族に対して日頃どう感じているかを話していたりする。鑑賞者は、柔らかい紙吹雪に包まれながらそれを聞く。

■子供たちが力を合わせて作った、巨大な紙相撲。

■兼六園などで撮影した「PIKAPIKA IN KANAZAWA」(トーチカ)。ペンライトで宙に落書きして、8秒間露光のカメラで写す。演者は市民。夜の庭園や町並みで動き回る人と光のオバケ。仕掛け人はセンスもノウハウもいるだろう。でも、これは理屈抜きでおもしろい。

■築120年の町家の再生。20年ほど無人で朽ち始めた家を蘇らせ、古たんすの引き出しの内側に「タンスの精」の絵を描いたり、地元の人がその家についての思いを語ったインタビュー映像を押し入れの覗き窓から見れるようにする。建築家ユニットアトリエ・ワンの人は「古いからと捨ててしまうと、街の文化だけでなく人の自信や誇りまで捨ててしまうことになる。それはつまらない」

◇街がアートの舞台ではなく、アートそのものになる。それを可能にするのはアーティストのセンスと楽しみながら参加する市民たち。
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# by kobefun | 2008-11-11 13:05 | kobe